「気軽に質問できない環境」に身を置いていると起こる、心理の弊害について

team システム開発

心理的安全性ゲーム in 福岡』というイベントに参加してみました。

参加レポート、こんな感じです。 [https://kaki-engine.com/impressions-of-playing-anzen-shinri-game/]

参加の動機となった自分の感性について、ちょっと書いておこうかと思って。

あのゲームと、ゲームの基になった組織論の中では、 「気軽に質問する」 という事ができる環境が、良しとされています。

実際、その通りだと思います。 行き詰まったら、すぐに誰かに助けを求めて、解決できる方が、自分にとっても助かるし、組織にとってもプラスなんじゃないかと思います。

が、残念ながら、会社員時代に、そのような組織に恵まれる事はありませんでした。

質問をしても返ってくる返答は、 「○○については調べてみた?(まだそこまで調べてないなら、質問に来るんじゃねーよ)」 とか 「○○(別プロジェクト)では上手く行ってるから、それ参考にして。」 とか 「答える時間ねーよ。」 とか、 そんな感じ。

それがどんな結果になったかと言うと、

「あ。この人たちに質問しても、マトモな回答は返ってこないんだ。」

という事を悟り、結局自分で解決してしまう。 解決できるまで時間をかけてしまう。

そして、どうしても質問しないとわからない場面が出てきた場合、 「何が原因で上手く行かないと考えているのか?」 「解決するために、何を試したのか?」 「過去に上手く行っているパターンがあるなら、それとの差異は洗い出しているのか。」

と行った事を、全部が全部、 「もう、これ以上は調べる箇所がない。」 という所まで行って、ようやく質問するための土台に立てるといった状況だった。

というか、そこまでやってたら、さすがに自己解決できる事が多かった。

そのせいで、 質問に行くタイミングが下手になってる、という自覚がある。 「そこまで調べたなら、もう質問に行っていいんじゃない?」 といった限度が分からなくなり、 「もう調べる所が無くなるまで、調べ尽くす。しかも、回答者が返事をしやすいように、調べた全てのことをまとめ上げる」(結果、労力と時間を消費する) といった所まで到達していた。

自身での解決力が上がったという点では、いい事なのかもしれないが、 「これ、自己解決するのに1日かかったけど、知ってる人だったら数時間で解決できることだよな。」 という事に何回も遭遇していると、 「気軽に質問できる環境と、その組織に所属している人」 ってのは、すっげー羨ましいと思う事はある。

問題に遭遇した側としては、「解決させるための時間」が、どれだけあるか分からないケースも多いので、 問題が起こったら、解決する前にエラーメッセージをチャットツールに貼っ付けて、知ってる人が手を上げるくらいの事でいいと思ってる。

一見、すぐに解決できそうなエラーでも、 実は相当泥沼なハマりポイントがあったりするし、 調べるポイントが実は見当違いだったという事もよくある。 それに、「ググったら、やたら難しい解決方法が上位に出てくるけど、実は○○という事で、速攻で解決できる」 といったケースは、珍しくも何ともないし。

今はフリーランスでやっているが、将来、また会社員になる場合には、そういった「気軽に質問できる」という環境に身を置きたいと思った次第だ。

こっちが困っていたら助けて欲しいし、 向こうが困っていたら、こっちも助けてあげたい。 そして、お互いが分からない事を補完しあい、共に成長していきたい。

「1つのプロジェクトに、がっつりメンバーとして参画して、チームのメンバーと一緒にプロダクトを成長させる!」 というのは、人生のうち絶対1度はやっておきたい事だし、それは恐らくフリーランスでは実現できない事だし。

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