SNSサービスにはいくつかには、特定の人に「応援をお願いする」機能があるけど、あんまり親しくない人や、1回しか会った事がない人から、ちょくちょくそういうのが届いた時に感じた事。
この機能って、公に向けて「応援お願いします」って発信するのと、全く違う性質がある気がしている。
公に向けて発信する場合、
「”どなたか” 応援お願いします!」
と言っているのに対し、SNSの機能は、
「”あなたの” 応援をお願いしています!」
という感じで。
「うん。何で “俺に” 応援してほしいの?
そんなに親しくないよね? というか、何で俺がその活動に賛同してくれると判断したの?
単に応援してくれる『人数』が欲しいだけなら、他をあたってくれよ。」
といった妙な感情が湧く事がある場合もあるし。
(応援を依頼した人に大きく左右されるけど。)
極端な場合だと、
「1回会った程度だし、自分の顔とか仕事とか覚えてるのだろうか・・?」
みたいな感情が湧いて、その人や活動コミュニティに対して印象が悪くなってしまう場合もある。
当然、応援はしないし、足も遠のく。
ただ、面識は少なくとも、「応援?いいよー。」と、OKボタンを押したことはある。
その人は、会った回数は少ないものの、自分がSNS上で発信した内容に、時々「いいね」を付けてくれたり、投稿内容について時々絡んでくれている人だった。
そのおかげか、彼への好感度は自然に上がっていて、「応援お願いします!」と言ってきても「いいよ!」と自然に反応する土台が出来上がっていた。
つーか、SNSの「いいね」ボタンって凄くない? 個人的には画期的な発明品だと思ってるけど。
人に好意を伝える場合、活動内容や発信内容を賞賛したい場合、そのメッセージを伝えるためには、それなりの労力を要する。
言葉で伝える場合、
「こんな事言ったら、失礼にあたらないかな。」
とか
「こんな言い方だと、ちょっと馴れ馴れしすぎるかな。」
とか、
色々考えているうちに保留したまま日にちが経過し、結局メッセージは伝えられないまま、みたいな事は太古の昔から地球上の様々な場所で繰り返されていると思う。
んな余計なことを考えず、相手への賞賛の意思を一方的に伝える事ができる機能。
それが「いいね」ボタン。
これが素晴らしい発明と言わず、何と言うのだ!
もちろん、自分がSNSで発信したメッセージに対して定期的に「いいね」をしてくれる人はちゃんと覚えているし、その人への好感度はきっち上がっている。
プロフィール欄だってじっくり読むし、過去に発信した内容も読む。
ブログや自分のサイトへのリンクがあればそれも読むし、はてなブログで書かれていたら「読者になる」ボタンを押す。
また、その人のは「いいね」がしやすくなる傾向は高くなる。
「いいね」を繰り返す事は、間違いなく相手との距離を縮める事に繋がりうる。(※少なくとも自分にとっては)
つまり、
「ジョジョ5部最高っすよね! 今週放送の無駄無駄ラッシュの再現、見事でしたわ!」
と絡んでくれたら、彼の応援依頼のメッセージを無下にする事はなかっただろうな。という話だ。
そんな感じで、自分が
「この人に応援してほしい」
と思って、応援の依頼をする場合、せめてSNS上で発信している内容に、「いいね」をめっさ付けるところから始めとこうかと思った。
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